西田 幾多郎の「哲学とは」
「哲学とは、世界はいかなるものであるかという「世界観」及び人生はいかなるものであり、人間は何を為し、如何に生くべきかという「人生観」を学的に取扱うものである」 ソフィア(知)は技術的知能を含んでいた。純粋化するのはプラトンから。
哲学が追い求める知識はエピステーメーである、とした
プラトンは哲学自体を定義しなかった。最初に定義したのはアリストテレスである。
フィロソフィアに物理学なども含まれている。
物理学の次の巻、メタフィジカの巻で、今でいう哲学にあたるものを「第一哲学」と呼び、存在そのものの学であるとした。 彼の著作は西暦30年頃アンドロニコスにより整理されたが、その際、『タ・ピュシカ』(希: τὰ φυσικά, ta physika、自然(についての書))に分類される自然学的書作群の後に、その探求の基礎・根本に関わる著作群が置かれた。その著作群は明確な名を持たなかったので、初期アリストテレス学派は、この著作群を、『タ・メタ・タ・ピュシカ』(τὰ μετὰ τὰ φυσικά、自然(についての書)の後(の書))と呼んだ。これが短縮され、『メタピュシカ』(希: μεταφυσικά、羅: metaphysica)として定着、後の時代の各印欧語の語源となり、例えば英語では「メタフィジックス」(metaphysics)という語となった。
他の部分では哲学は最高の諸原理と諸原因を明らかにするものだとも言った。
アリストテレスが実在と原因の関係をどう考えたかは明らかではない。おそらく真の存在が真の原因だと考えたのであろう。
アリストテレスは哲学を徹底して、純粋に理論的な問題として考えた。
一方で実践的な問題に答える哲学を考えた人がいる。ストアとエピクロスである。
目的は異なるが、哲学は単に知のために知を求めるのではなく、人生の処し方だとしたのは同様である。
世界観と人生観の内、アリストテレスは前者、ストアとエピクロスは後者を注目した。
後に、宗教的な救済、悟りを目的とする哲学が登場する(プロクレス) そして哲学の目的が「神を知ること」となり、神学となった。 中世哲学
キリスト教の影響がとても強い